サービスその4
車屋の黒はその後ご跛びっこになった。彼の光沢ある毛は漸々だんだん色が褪さめて抜けて来る。吾輩が琥珀こはくよりも美しいと評した彼の眼には眼脂めやにが一杯たまっている。ことに著るしく吾輩の注意を惹ひいたのは彼の元気の消沈とその体格の悪くなった事である。吾輩が例の茶園ちゃえんで彼に逢った最後の日、どうだと云って尋ねたら「いたちの最後屁さいごっぺと肴屋さかなやの天秤棒てんびんぼうには懲々こりごりだ」といった。
赤松の間に二三段の紅こうを綴った紅葉こうようは昔むかしの夢のごとく散ってつくばいに近く代る代る花弁はなびらをこぼした紅白こうはくの山茶花さざんかも残りなく落ち尽した。三間半の南向の椽側に冬の日脚が早く傾いて木枯こがらしの吹かない日はほとんど稀まれになってから吾輩の昼寝の時間も狭せばめられたような気がする。
主人は毎日学校へ行く。帰ると書斎へ立て籠こもる。人が来ると、教師が厭いやだ厭だという。水彩画も滅多にかかない。タカジヤスターゼも功能がないといってやめてしまった。小供は感心に休まないで幼稚園へかよう。帰ると唱歌を歌って、毬まりをついて、時々吾輩を尻尾しっぽでぶら下げる。
吾輩は御馳走ごちそうも食わないから別段肥ふとりもしないが、まずまず健康で跛びっこにもならずにその日その日を暮している。鼠は決して取らない。おさんは未いまだに嫌きらいである。名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないから生涯しょうがいこの教師の家うちで無名の猫で終るつもりだ。